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摂理の大阪大学ブログ

「言葉」について考える

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最近、「言葉」について少し考えていました。

口から出た言葉、文章で書いた言葉、頭の中で考えた言葉……

さまざまな言葉がありますが、

聖書の中では語る言葉について

「おりにかなって語る言葉は、銀の彫り物に金のりんごをはめたようだ」(箴言25章11節)

とソロモンが表現しました。

<天の心情にぴったりかなう言葉>と<かなわない言葉>があるとすると、

正しい言葉を使えたらと願いつつも

「またやってしまった……^ ^;)」と言葉を誤ることも

生活の中で時々あるなと感じます。

言葉を発するにも、天の御心を考えながら

焦らず、よく考えて、余裕を持って、落ち着いて、ですよね。

 

言葉を口に出したり、文字に書いたりして表現すると、

中には頭に残る言葉もあります。

その状況で「御言葉」を聞き、気にしていた言葉が話の中に出てくると、

頭に残った言葉が「問い」となり、

御言葉がその「答え」となって、

緊張して耳がダンボになります ^ ^;)

神様はその言葉について、御言葉の中でどうおっしゃるのか気になって。

だから、言葉に気をつけないといけないなあと

ますます感じるこの頃です。

 

「言葉」には良くも悪くも力があり、

正しい真理の言葉は人を良い方向に変える力を持っています。

言葉が自分の考えとなり、それを行うようになると

生活自体が変わってきます。

例えば、「何事も前もってやりなさい」という言葉を聞いて

受け入れ、自分もそうしようといつも頭で覚えて心掛けていたら、

どこかに出掛けるときも「前もって」という意識を持って

時間を逆算して余裕を持って早くから出掛けるための準備をするし、

一日が過ぎてあっという間に夜になってしまう前に、今日すべきいくつかのことを

余裕をかまさず「前もって前もって」と行うようになります。

短いスパンのことだけでなく長いスパンのことにも

すべきことが浮かんだ時に「前もって~」とすぐに着手するようになります。

 

キリスト教では

聖書の言葉、説教の言葉などを「御言葉」と呼び、

霊魂の糧となる命の言葉だから、

敬意を表して「御」をつけますが、

「御言葉」の力、

それが本当に正しい真理であるならば

それを実際に行い、成したときに実体となり、

人の中で生きて働き、霊魂肉を変化させる力があります。

 

「知者の言葉は突き棒のようであり、またよく打った釘のようなものであって、ひとりの牧者から出た言葉が集められたものである。」(伝道の書12章11節)

 

知者の言葉は突き棒のよう、よく打った釘のよう、

そして一人の牧者=神様から出た言葉だとソロモンは書き残しましたが、

主の知恵の御言葉を聞いて、それを行いつつ、

自分が生活の中で使う言葉も知恵を持って

主の心にかなう、正しい言葉を発していけますようにと願うこの頃です……。

(つづく)

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