9Feb
最近「君たちはどう生きるか」の漫画本が
教育現場含め、多くの方々の間で広まっています。
自分は岩波文庫の原作を以前読んでいたので
あの内容を漫画本にしたら一体どんな感じになるのだろう……
と気になっていました。
友人が貸してくれたので見てみました^ ^
「おじさんのノート」の部分が原作から抜粋されていて
工夫されていると感じました。
主人公の本田潤一君のコペル君というあだ名は
地動説を提唱したポーランドの天文学者コペルニクスからきています。
コペル君がある時、叔父さんと一緒に
銀座のデパートの屋上から下の通りを見下ろしていて、
細かい霧雨が降りてくる中……
東京の街が一面の海で、
所々に建っているビルが海面から突き出ている岩のようにも見え、
何十万という人間がこの中で生きていることについて考えていました。
そして叔父さんの「朝と夕方の通勤で何十万、ひょっとすると百万を越す人間が
海の満ち潮のように満ちたりひいたりしている」と言うのを聞きながら
「人間って、水の分子みたいなものだねえ」と話します。
子供の時は誰もが自分を中心にして世の中を見ますが、
大人になってくると、世の中の一人の存在として自分を見るようになる、
そのような認識の転換を覚えておくようにと
叔父さんがコペルニクス君、つまってコペル君と呼ぶようになりました。
天動説から地動説への転換のような「認識感の転換」は、
さまざまな内容での転換があると思いますが、
例えば、神様がいらっしゃるか、いらっしゃらないかということも
認識の転換と言えるのではないでしょうか。
とどのつまり、真実は二つに一つと思われますが、
神様がいると認識して一生を生きるのか、
いないと認識して一生を生きるのかは、
認識の転換の意味で、大きな違いがあります。
いかし、神様は肉眼では見えない存在のため、
いないと認識したら、その人にとってはいないと認識されてしまいます。
神様はよく太陽にたとえられることがあります。
太陽からはさまざまなエネルギーが
地球上のすべての生命に変わることなく常に注がれています。
太陽の存在を認識している人にも、していない人にも、動物にも植物にも
太陽からの恵みは常に注がれています。
太陽がなかったら、日に照らされることがなかったら……
すべての生命は生きていくことができません。
太陽の近くに行ったら暖かく、離れたら寒くなります。
天気のいい日の植物は、太陽に向かって生き生きと
ぴかぴか光って喜んでいるようにも見えます。
自分を地球として周りを見たら
太陽も多くの星々も自分の周りを回っていると天動説的に認識します。
地動説的に認識したら、その時から……
太陽のような存在を中心にして
自分は回っている惑星たちの中の一つの存在として動きだします。
天の絶対法則の中で。
「認識感の転換」……
人生の中でとても大きなことだと思います。
(つづく)
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