17Feb
「カルト」という言葉の意味について
国語辞典で調べてみました。
「狂信的な宗教集団。転じて、一部の人々による熱狂的な支持」とあり、
続けて「狂信」も調べてみると、
「理性を失って激しく信じ込むこと」とありました。
摂理で長く御言葉を学んでいますが
理性を失って信じるというより、
摂理はある意味、極めて現実的だと感じています。
霊魂肉すべてにおいて
自分が努力した分、行った分をそのまま受けることなど、
摂理の人々に限ったことでなく、全世界全人類に該当する真実を学んでいることなので。
「転じて、一部の人々による熱狂的な支持」ですが
仏教も、儒教も、キリスト教も、イスラム教も
始まった頃、最初のうちは非常に少ない一部の人たちからだったと思われます。
摂理で鄭明析(チョン・ミョンソク)先生が説教の中で
「こうしたら、こうなる」とおっしゃる御言葉は
実際に先生がすべて経験したことを話してくださっています。
そして誰でも同じようにしてみたら、そうなる内容です。
聖書の解釈も、聖書に基づいた、筋の通っている話です。
聖書の中で
「……無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている」(ペテロの第二の手紙3章16節)と書かれているように、
無理な解釈ならば滅亡の道に行ってしまいます。
聖書はボリュームもあり、
1回、2回、3回、10回通読しても、何回読んでも
理解することはとても難しい書物ですが、
自分は聖書の「せ」の字も知らなかったにもかかわらず、
学ばせていただいたことで
非常に核心を押さえて分かるようになってきました。
また、先生は多くの箴言を書いていらっしゃり、
一言で深い人生の悟りを含んだ箴言もさまざまにありますが、
その中で自分が研究しながら、よく思い浮かんだ箴言があります。
「正常が頂上だ。」
韓国語で「正常」と「頂上」は
どちらも「정상(チョンサン)」で同音異義語になっています。
「頂上」とはすなわち「正常」であること、
まずは「正常」って何だろう?というところからではありますが……
例えば自分では自分のやっていることが「正常」と思っていながらも、
実は、実験や発表に失敗して原因を分析してみると
自分の考えに何か矛盾があったり
正しい観点、御心から外れていることが見つかったりしました。
「頂上」とは、0より上というより、
マイナスの自分から「正常」な0地点に回復していくことだと思うと
ある意味、肩ひじを張らずに感じられもしました。
スポーツ、芸術、学問、すべての分野で言えることですが
自分との闘いであり、自分の矛盾を正していく過程でした。
それは今もそうです。
一例ではありますが、
「正常が頂上だ」と考えながら生活するなど、
狂信的、熱狂的というより、
真面目に、地道に取り組んでいた学生時代、
技術を習得しつつ、自分の矛盾を正しながら
結果に結びつけていく日々でした。
研究の専門家である研究室の教授の師事と、
人生の専門家である先生の御言葉の教えが、
自分にとってのメンターだったのでした。(つづく)
関連記事
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。