27Dec
ケイです。
海外に住みながら一年以上が経ったのですが、いま日本に一時帰国中です。
年末年始には帰省するのが難しそうなので、瞬間ですが実家にも帰ろうと思っています。
帰国の道すがら、お土産何にしようかと親のことを考えていますが、三十を過ぎて、帰省の時に親への感謝の思いが一層強くなってきたことを感じてます。
親は人生の中で尊敬する人のひとりです。
特に、私の母は、昔から「なんでもすぐ人によくしてあげようとする人」でした。
車に乗っていて、誰か知人が歩いていたらすぐどこに行くのか聞いて乗せてあげようとするし、街中でも電車の中でも隣の人にすぐに声をかけて話をするような人でした。
この、“すぐに”というのがキモで、フツーならもう少し考えてから、声をかけるなら声をかけるし、何もしないなら何もしないという風になるんじゃないかというところを、何のためらいもなく行動に移すのが私の母でした。幼い時の僕はそのような母の姿を見ながら、ある時は少し驚いたし、ある時は誇らしく感じたし、またある時は少し恥ずかしく思ったりもしました。
僕が、大きくなって、自分が聖書を学んでいるということを話した後、色々と話している中でふと母が言いました。
「イエス様の話の中で、この左手のすることを右手に知らせるなという言葉が私は好きじゃね」
その時は、またなんか珍しいトコに惹かれるんやなぁとだけ思って、それ以上は深く聞くこともなかったのですが、後々考えてみたら、これは正に母の個性を表したことでした。
小さい時から宿題をする僕の隣で勉強を教えてくれたり、夏休みに毎日市民プールに連れて行って水泳を教えてくれたりした母は、客観的に見れば教育ママと呼ばれる存在だったかもしれませんが、どうやら神様が僕に一番近い存在を通して与えてくれたものは、そういう知識や技術ではなかったようです。
母という存在を通してキリストの精神の一端を見せて下さり、そのように自然な隣人愛をしなさいと精神教育をして下さった神様。
そのような教育がなければ聖書の話を聞いて、それが正しいことだと分かって信じることはなかったかもしれません。
今もいわゆる信仰があるわけではないものの、変わらない愛で気にかけてくれる母は間違いなく、今も自分にとってキリストに繋がる養育掛、小さなキリストです。
「わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母の教を捨てるな。」
箴言 6:20 JA1955
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