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CGMの大阪大学ブログ

摂理はカルトで異端なのか!?少しずつ見えてくるその実態

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キリスト教福音宣教会(通称 摂理)はカルトなのか

.両極端な意見が多く、真実が見えにくい

2.冤罪になる過程で

3. 鄭牧師について

4.最後に

1.両極端な意見で真実が見えにくい

キリスト教福音宣教会(通称 せつり)に関して

過去から今に至るまで悪評に関する記事が多いです。

そのため、実際に何が起きているのか

教会の実態を知ってもらうために

教会の会員たちが様々な活動をオープンにしてSNSに発信しています。

教会員たちの発信する活動と

摂理はカルトで異端だから一刻も早く距離を取るべき

という両極にある情報しか得られず

真実を判断しなければいけない方々には

様々なご苦労があるのではないかと思います。

多くの記事を読むだけで一苦労ですし、

もし私が皆さんの立場だったら

「わかった、わかった!

双方の言い分はもうわかったから

いったんこの話はもうやめよう。」って

なりそうだなあと思います。

まるで、自分の母親と自分の奥さんの間に挟まれ

どちらの意見が正しいかどうかよりも

「もうわかったから、今は休ませてくれ」っていう夫の心境と

ちょっと似てるかもしれません。

摂理が良いか悪いかを見極める前に

公正で客観的な立場からの意見があってもいいのではと思う今日この頃ですが、

いかがでしょうか。

2.冤罪になる過程で

鄭明析牧師について

私個人は彼は潔白であり、冤罪事件であったと考えます。

裁判中、被害を訴えた女性が

途中で証言を翻し

第三者から証言を指示されたという趣旨の話をしました。

証言した女性たちは

誰かに証言を指示されたのでしょうか。

もしも、女性が被害を受けたと証言しなければ

女性本人や家族の身の安全が確保されないような

何かしら訳ありな状況であったならば

証言を翻してしまった女性の身の安全は

確保できる状況にあったのか等々、

別の心配をしてしまうような事が起きつつ

裁判は進行し続け

確実な証拠がないまま

ついに10年の刑が決まり

2018年2月まで

鄭牧師は刑に服しました。

証拠がないにも関わらず。

裁判で判決が下され

刑に服したという事実がある以上

その部分について追及する人達は

今後も後を絶たないと思います。(摂理の真実を参照)

キリスト教福音宣教会(摂理)と

鄭明析牧師について

いまだ悪いイメージが尽きないことに

深い悲しみを感じます。

3. 鄭明析牧師について

10年も刑に服したのだから

どんなに悪い人だろうかと思う人が多くても不思議ではありません。

そのことだけ聞けば私もそう思います。

牧師が語る説教は

意外に理論的で現実的です。

どこにいても自然体で、飾らない人柄なので

いわゆる「偉大なる神に栄光あれ!ハレルヤ!」

という雰囲気の説教は彼の十八番ではありません。

生活に根差した、

どんな人でも経験するような

ごく普通のことに物事を喩えながら

現実的な話をしています。
   

聖書に書かれた数々の奇跡の本質を

わかりやすく語られるところが

鄭明析牧師の持ち味であり

最大の強みなのだと思います。

同時に、初めて聞く内容に戸惑う方も一定数いらっしゃいますし、

以前通っていた教会とは異なる説教や

一般的に想像する牧師とは違う姿をみて

驚かれる方も多いです。

鄭牧師は

木々や石の手入れにコツコツ励み

コツコツ祈り

コツコツと説教やご自身の体験を書き留め

良く笑い

小さなことに大きく感謝を表現する

おじいさんです。

また、キリスト教福音宣教会(せつり)では

ある程度成長してから結婚することを薦めています。

その部分に抵抗を感じる方々はいると思いますし

悪評される要因の一つにもなっているのではないでしょうか。

自分のプライベートには口出ししないでほしいと

感じる方は多いと思いますし

想像してたキリスト教となんか違う

という違和感を覚え

離れる方々もいらっしゃいます。

信仰は個人の自由意思の領域だから

いくら自分が良いと思っても

相手が嫌なら

良かれと思って薦めても

ただの強要になってしまいます。

どの宗教だとしても

義務ではなく自由意思だから

その部分の判断がとても難しく

とても繊細な分野だと感じています。

また、教会内の人間関係や

それぞれの状況の変化の中で

教会と距離を置くことにした方々もいらっしゃると思います。

せつりを離れた方々には

一人一人に様々な事情があり

それぞれが持つ夢やビジョンがあり

それぞれの信念があり

摂理を離れる選択をされたのだと思います。

摂理を離れたことが問題なのではなく、

真実ではない情報が

真実であるかのように報道され

過去、摂理に通っていた人々も

現在摂理に通っている人々も

様々な風評被害を受けながら

生活をしているということに

問題の深刻さを感じます。

そして、その真実が

なかなか世の中に浸透しないという

厳しい現実があります。

宗教あるなしに関わらず

人生には苦労がつきものだし

どこで生活しようと

なんでこういう人生を選んだんだろう

これは間違っていたんじゃないか、

そんな考えがめぐってしまう時は

誰にでもあるのではないでしょうか。

キリスト教福音宣教会の悪評について

悪評されるに至った経緯や

様々な真実が見えてくるまでには

もう少し時間が必要なのかもしれません。

4.最後に

鄭明析牧師は

自分には伝えたいことがあるから

そのことに専念する、と常日頃おっしゃっています。

もう終わったことだから、恨むことなく前に進もうと。

冤罪を晴らし、自分の潔白を証明することよりも

神様の福音を伝えていきたいと。

神様が私たち一人一人の人生を

尊く、大切に思ってくださっていることを伝えたいから

今できることに集中したいとおっしゃっています。

もしも、私が鄭牧師の立場だったら

自分の潔白を証明することに必死になり

「今は神様の話なんてしてる場合じゃないから」と

さっさと信仰を捨てたのではないかと思います。

神様の話を伝えたことで

このような事態に至ったのですから。

福音を伝えなければ、

こんなことにはならなかったのですから。

それでも

神様を責めるのでもなく

周りを責めるのでもなく

こつこつと自分のすることに集中するというのは

そう簡単にできることではないかもしれません。

鄭牧師がおっしゃるように

一人一人のかけがえのない人生が

神様と共に生きることで

一層輝いていき

神様も嬉しく

私たちも嬉しい

そんな人生を送っていけますように。

神様に近くすることが平和であり、

理想世界だ。

摂理の鄭明析牧師

天のことば 私のことば より

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