摂理の教会に通う大阪大学の学生やOB・OGが綴ります|キリスト教福音宣教会

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CGMの大阪大学ブログ

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「科学と宗教」、今や対義語と言えるほど、全く相容れないもののように考えられていますが、決してそうではありません。本当に正しい宗教なら科学とも矛盾しないはずです。なぜなら、科学も神様が作ったものだからです。

物理が大好きな超理系な私がなぜ摂理で神様を信じて生きることができているのか、それは摂理で学ぶ教え(=御言葉と呼びます)がとても理にかなっていて、矛盾がなく、科学的だからです。

聖書には、一見すると、到底信じられないような奇跡的な出来事がたくさん書いてあります。例えば、イエスキリストがある時、5千人の人を集めて、神様の教えを伝えていました。しかしみんなお腹がすいていたので、5つのパンを5千人分に増やして、みんなが満腹になったという話が書いてあります。理系の私はこんな非科学なことは到底信じられません。これをもし「イエス様は神様だから何でもできる。神様の奇跡だ。ただ信じなさい!」と教えられたら、はい、さようなら~で聖書を学ぶことをやめていたでしょう。

しかし、私が学んだバイブルスタディーはそうではありませんでした。「聖書は比喩で書かれている」と学んだのです。

聖書の別の箇所にはこんな聖句があります。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉で生きるのである」

私たちの肉体は確かに「パン(=食べ物)」があれば生きていけます。しかしただ食べて寝るだけの人生では動物と同じです。人間が本当の意味で「生きる」ためには、パンだけではだめで、神様の口から出る言葉、すなわち「人生の真理」を聞いて、心、考えを正し、その通りに生きることが必要なのです。

つまり、神様の言葉(=御言葉)は、人間が真に生きるために必要な「心に与えるパン」なのです。

結局、イエスキリストが5千人の人に与えたパンは、文字通りのパンではなく、人々の心に与えた糧、神様の言葉、人生の真理でした。このパンを食べて、人々は肉体ではなく、心が満腹になったのでした。

このようにパンとは、イエスキリストが伝えた御言葉を喩えたものだったのです。言葉ならば、5千人でも5万人でもいくらでも与えることができます。全く非科学的ではありません。

神様が起こす奇跡とは、決して非科学的で超常的なことではありません。イエスキリストが行った奇跡とは、ただひたすら御言葉を伝えることで、人々の心と行動を変化させたことなのです。

私はこのようにバイブルスタディーを学び、本当に聖書の奥深さに感銘を受けました。そして、科学を志す者として、何の矛盾もなく、神様を信じて生きています。私のような超理系人間は、摂理でなかったら、決して神様を信じることはできなかったでしょう。

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