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CGMの大阪大学ブログ

摂理=やばい?二つのやばさを徹底解明

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キリスト教福音宣教会(摂理)がどうやばいのか

自分なりに考えてみたこと少し書こうと思います。

摂理の何を見てどうやばいと感じるのかは人それぞれなので

説明が難しいところです。

摂理が良いって意味で”やばい”と言ってる人もいるかもしれません。

今回はSNS上で見かける悪い噂と、教会内であった文化の違いについて紹介します。

1.悪い噂のやばさ

キリスト教福音宣教会(摂理)の創設者チョンミョンソク牧師の

SNS上やメディア等々での悪評はどこまで本当なのか。

チョンミョンソク牧師についての悪評は

事実ではない歪曲された内容が広まり

悪いイメージが固定した状態で、訴訟に至りました。

そして、世論の波によって過去に有罪判決を受けました。

いまだ、それらが冤罪であることが世に知られてない意味で

これはかなりやばいと感じます。(詳細は摂理の真実参照)

無実であるにも関わらず、実刑にまで至った過程や

冤罪であることすら知らない人が多く、

ここまで悪人にされてしまうという恐ろしさを感じます。

2.文化の違いのやばさ

もうひとつのやばさは

文化の違いによる誤解ではないでしょうか。

キリスト教福音宣教会(摂理)の創設者であるチョンミョンソク牧師は

韓国生まれ、韓国育ちの韓国人です。

そして、日本にチョンミョンソク牧師の教えが伝わっていった過程には

韓国人宣教師たちの貢献によるところが大きいです。

韓国と言えば、夜になればあちこちで十字架の光が見えるくらい

日本よりもキリスト教人口が多い国です。

それと同時に

宗教を問わず、国全体に儒教の考え方が浸透しているように思います。

儒教の影響を感じる部分のひとつは

目上の人に対しての尊敬の気持ちや言葉遣いや態度が日本以上に丁寧なところです。

もちろん、日本にも敬語は存在しますし、

目上の人に対して気を遣っていると思います。

それでも、韓国での目上の人に対しての言葉遣いや態度は

日本以上に丁寧で、ある種の厳格さも個人的に感じます。

ここに、ひとつ誤解が産まれた原因のひとつがあると考えています。

なぜかというと、

儒教の文化が浸透しているところでの丁寧さ

日本でそっくりそのまま行うと

敬われている相手が

ただ目上の人というだけではなく

あたかも大きな権力を持っているように

見えてしまう可能性があるからです。

日本人が創始者ではない宗教で

キリスト教の教えではあるけれども

儒教の文化の色濃い風習も持ち合わせる

韓国人宣教師たちと

日本人たちで作られていた小さな教会は

そういう意味で

西洋のキリスト教会とは少し違った

独特な雰囲気を持っていたと思います

そういった文化の違い、価値観の違いから

教会の創設者であるチョンミョンソク牧師が

あがめられているように見えた

という人がいても不思議ではないと思います。

チョンミョンソク牧師は素朴な人柄で

偉そうな態度はとらないですが、

韓国での目上の人への接し方の習慣を知らない日本人から見ると

その光景に違和感を覚えた人たちが日本人の中にいたのではないかと

過去を振り返って感じています。

また、

日本で韓国人宣教師たちが伝道をし始めて間もない頃は

特に小規模の教会であれば

小さな人間関係の中で

あれこれ工夫して教会活動をしても、

毎回ほぼ同じ顔触れで

窮屈な思いをした方々が多かったかもしれません。

さらに、

韓国の文化をある程度理解していないと

いろいろ誤解が産まれてしまい、

韓国人宣教師とのコミュニケーションも

その教会内の日本人どうしのコミュニケーションにも

一定の難しさが伴っていたように感じます。

日本人はコミュニケーションの中で

正面衝突をできるだけ避ける傾向にあり

物事をオブラートに包み、

やわらかく表現することが多いと思いますが、

韓国の人は情に厚く、

相手との距離を近く感じており

自分の気持ちをはっきり伝えることが多いように思います。

韓国人宣教師としては、信頼する相手に対して

その人に伝えたいと思ったから本音で話したところ、

そこまでストレートに表現しない日本人にとっては

突然ズバッと言われて驚いたという人がいたと思います。

しかし、

今思えば宣教師たちにとって、それらのアドバイスは

愛情あふれるコミュニケーションだったのだろうと感じます。

このような、日常に小さなところから

感情表現の違い、気持ちのすれ違いによって誤解が生じたケースがあったように思います。

私自身がこれらの文化の違いからくるミスコミュニケーションに気付いたのは

韓流ドラマを見るようになってからです

ドラマの中のやりとりを見ながら

そもそも国が違うし

コミュニケーションの中で大切にする部分が違うから

いろんなミスコミュニケーションが起きていたのではと感じるようになりました。

日本に来た宣教師たちは

日本の文化や日本人について尊敬の念をもって接してくれた人たちだったと思います。

コミュニケーションひとつをとっても

母国とは考え方や伝え方が異なる文化の中で

韓国の宣教師たちの中には

日本人が何を考えているのかわからない、

何か感じているようだけれど、

どうやったら彼らの本音を引き出せるだろうか、

という悩みを抱えたことがあったかもしれません。

現在のキリスト教福音宣教会の日本での活動は

おおかた日本人で運営していると思われます。

そのため、文化の違いによって気持ちや言葉の誤解で苦しむというケース

以前より減ったのではないかと思います。

同じ日本人同士でさえ、誤解は様々に起きてしまうもの。

国が違えば、それらの誤解はもっと多かったかもしれません。

言葉と行いは少しでも間違ったら、

完全に違う方向へ流れて、問題が生じる。

だから、話すときや行うとき、

最も気をつけて行わなければならない。

キリスト教福音宣教会(摂理)の

鄭明析(チョンミョンソク)牧師

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